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2024.10.02

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食のコラム

こんにちは。臨床心理士/公認心理師の熊倉恵佑です。食に対する見識が狭い私に語れることは殆どありませんが,お付き合いいただければと思います。まずは土田病院周辺のおいしいお店紹介をいたします。

・ときわ食堂(入谷)

 今時珍しい昭和感漂う定食屋さんです。キッチンから時折聞こえる店主と女将さんの嫌味のない言い合いが,また良いスパイスになっています。土田病院から徒歩でたったの25分です。

さて,そもそも日本語の「食べる」の語源は,「賜わる」からきているそうです。これは「いただく(いただきます)」と同じように,自分より位の高いモノから受け取るという意味です。「Eat」の語源がラテン語の「食べ尽くす,消費する」であること比較すると,そこには他者が想定されており,受動的なニュアンスが含まれた文化的特徴を有する表現ですね。

たしかに私達は美味しいご飯でお腹いっぱいになったとき,誰かにこころを理解してもらったとき,どちらの場面でも「満たされた」と表現しますね。美味しいご飯をいただくと「五臓六腑に」染み渡り,こころで納得した言葉は「腑(ふ)に」落ちるものです。

 衣食足りて礼節を知る,なんて言葉があります。すなわち何かを腑に落とさなければ,人の心に余裕は生まれないということです。腹が減っては外界/他者には向き合えないものです。
 したがって人は,自分が身体的-心理的に満たされた後に,前を向くことができるのだと言えそうです。
 大事なのは,この順番です。

「親切にされたければ,まず自分が人に親切にしなさい」と社会はよく言います。規範的な視点を勘案すれば了解できます。ただ,この常套句について少し考えてみたいのです。
 お馴染みのアンパンマンで考えてみましょう。いつも身を削っている彼です。自己犠牲の象徴たる彼は,なりふり構わず自分の顔を他者に分け与えますね。顔が欠けた状態で苦闘する姿に,(言わんこっちゃない…)とつい言いたくなる方も居るでしょう。アンパンマンであっても無い袖は振れないということです。では,彼は袖(彼の場合拳)を振るために何を賜っているのか。そうです,チームパン工場のケアです。ジャムおじさん,バタコさん,チーズが汗水を流し,新しい顔を拵えて,文字通り彼の体裁を整えます。するとそのケアを賜ったアンパンマンは,外敵と闘ったり,他者を労わったりすることができるのです。
 だから上の常套句に異を唱えたいのです。すなわち「まず人に親切にされましょう,自分に親切にしましょう,そうすれば人に親切にすることができます」の方が適切な順序なのではないか,と思います。

まとめましょう。食事もこころも,供給されるからエネルギーとして機能します。他者を介して賜る/取り入れるから前を向くことができるというカテイの大事さを書き込みました。至極当然のことですが,掻き込まずに咀嚼して考えてみると,味が広がるものですね。

心理社会療法部  臨床心理士/公認心理師 熊倉恵佑